死んだらやっぱり、雲の上がいい。

今日は台風一過でとても暑かった。昨日の夕焼けは気味が悪いほどオレンジで、朝の空は抜けるように青かった。起きて、1日が始まる。平凡に繰り返される毎日を、ああ、朝が来た、夜が来て、1日終わったとなんとなく確認する癖がある。細い線の上を歩いているような気がする時がある。どちらかに転んだら、落ちてしまう。
1年前の今日、幼なじみのヒロアキが亡くなった。仲のいい友達が突然いなくなってしまうのはこれで4人目。比べるようなものじゃないけれど、多いんじゃないか。それで私は確認するんだと思う。今日も生きていたと。
ヒロアキは実家の2軒隣に住んでいて、同い年だからいつも一緒に学校に通っていた。学校は遠くて通学路の1時間、おしゃべりしながら、笑いながら、中学になってもいつも一緒だった。よく笑う子だったから、笑う声をよく覚えている。
最後に遊んだのは、去年の5月。ヒロアキにも私と同じ2人の子どもがいて、奥さんも同級生。近所の広場で、子どもが凧揚げしたいというので、みんなでしていた。やがて子どもたちは飽きて他の遊びを始めてしまい、夫と私とヒロアキで、糸を引く。「風が強いとしまうのが大変なんだよね、いつか糸が切れて、向こうの道まで行っちゃって、探しに行ったよね。覚えてる?」「うちらいっつもここで凧揚げてたよな、正月とか。」「しかし、人数増えたよな。」そういってヒロアキは笑った。こうやって、にぎやかになって、いのちはつながっていくんだなあ。なんてそんな立派な、照れくさい言い回しじゃなかったけど、私たちはそんなことを考えていたんだよね?
6月、私たち家族が祖母の法事のためにまた実家に行ったとき、夫が玄関で「ヒロアキくん、呼んだんだけど振り向かなかったなあ。」と言って入ってきた。ヒロアキは、どんなに機嫌が悪くたって、人を無視するようなヤツじゃない。「聞こえなかったんでしょう。」「いや、絶対に聞こえた距離だった。」私も玄関から出て、呼んだのか、呼ばなかったのか。もう記憶は定かでないけれど、後ろ姿を見た気がする。
ヒロアキは、難病のALSという病気だった。脳は正常なのに、運動神経がどんどん死んでいく病気だ。原因もわからない。10万人に1人とか?残酷な病気だ。
5月、私たちに会った後、ほどなくして笑えなくなる。6月、振り向かなかったのはもう話せなくなっていたからだと、後で知った。思うように治らない病気にいらだち、インターネットでこの病気を知り、確信する。国立の病院に入院する前には、自分の最期を知って、大好きな車をちょっとだけ運転し、もうこの家に帰ることはないと知って、あちこちを見て歩いたのだという。奥さんは、そのときの悲しい目が忘れられないのだと言って、今でも泣いている。はっきり病名を告げられた帰り道、この、どこにでもいる普通の夫婦は2人で死ぬことを考え、子どものことを考えて思いとどまった。笑えないし、話せないから、友達には誰にも会わずに死んでしまった。家族にはたくさん、感謝の言葉をメモに残して。
もっともっと、話しておけば良かった。実家に帰るたびに、喪失感ってこんなものかと気が沈む。今日は命日だけど、何もできなかった。この前もお盆だったけど、何もしなかった。奥さんであるKちゃんとは、帰るたびに話すけれど、1年たったから気持ちが整理できるとかそんなわけもない。彼女も私と同じ、儀式にはあまり意味を見いだせないのだ。仏壇に線香をあげて、ヒロアキが喜ぶとは思えない。お墓の下で、ヒロアキが眠っているなんて、寂しすぎる。そんなところにヒロアキはいない。
一緒に学校へ通った道を歩くとき、キミの残した子どもたちと遊ぶとき、今日みたいに命日とか、そういう思い出すきっかけのあるとき。私は、覚えてるからね。想っているからね。覚えてますからね!ってアピールに、お墓まで行かないけれどさ。
時間は、悲しみをすこーしずつやわらげてくれて、思い出のきれいなところだけ残してくれる。それはもう、先に亡くなった友達のこともそうなんだけど、「想い」はちゃんと残るのだ。・・・なんか夜中の手紙みたいになってきたからもうやめよう。
人はいつ死ぬかわからない。何が起こっても不思議じゃない。
家族は玄関で、行ってらっしゃいと送り出すべし。
誰とでも、お別れするときは笑顔で。

みんなみんな、元気でいてね。お願いだから。